戊辰戦争では会津藩預かりの新撰組を紹介しています

新撰組

幕末の京都、諸藩から尊王攘夷・倒幕運動の過激派志士が集まり、治安が悪化。 その反幕府勢力を取り締まる京都守護代、会津藩主の松平容保の下で活動した武装組織が新撰組です。
「会津藩預かり」の非正規組織で隊長近藤勇、副長土方歳三、沖田総司、斎藤一など名だたる隊士が活躍しました。
隊員は、前身である壬生浪士組から新選組の最盛時には200名を超え、 元治元年(1864年)6月5日、池田屋事件で尊王攘夷派志士を斬殺・捕縛したことにより彼らを一躍有名にしました。
その後、旧幕府軍の一員として戊辰戦争に参加しています。
会津戦争では近藤勇、沖田総司は既に亡く土方歳三、斎藤一ら新選組は会津藩の指揮下に入り旧幕府軍として戦いました。
しかし新政府軍に敗北、その後土方歳三は榎本らと合流して蝦夷地へ向かうが函館五稜郭で戦死。
斎藤一は会津藩降伏の後斗南藩士として下北半島へ赴いた。その後明治新政府に奉職、大正4年72歳没。
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幕末、戦いは鉄砲、大砲と近代兵器、新撰組の戦いは日本刀。
旧態依然の姿で戦う新撰組隊士に滅びゆく美学をみるのでしょうか、
それとも、義・誠、ぶれない姿、一筋が魅力なのでしょか、
混沌とした今の時代だからなのでしょうね、隊士の墓参りをするファンが多いのが頷けます。
会津若松市の天寧寺には土方歳三が遺体の一部を葬ったとされる近藤勇の墓があります。 更には土方が怪我の治癒に逗留した東山温泉 旅館新滝には、入浴したと伝えられている「猿の湯」が今も有ります。
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