会津若松観光では、白虎隊自刃の地を紹介しています

白虎隊自刃の地

基本情報
名称 白虎隊自刃の地
所在地 〒965-0001 会津若松市一箕町
参拝時間 自由
参拝料金
電話番号
HP
駐車場 飯盛山市営観光客専用駐車場 無料
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白虎隊自刃の地

飯盛山の中腹のこの場所で火に包まれた城下を望みながら少年たちは若い命を散らしました。 白虎隊士20名が自刃した地です。
案内板によると
慶応四年(1868)8月23日(新暦10月8日)年齢が16歳~17歳で構成された士中二番隊の白虎隊士は猪苗代から 十六橋を越えて進撃した西軍と戸の口原で交戦するも、敵の軍事力に圧倒されて退き、 戸の口洞門をくぐってこの地に至った。 炎上する城下を前に玉砕か帰城かを巡って、激論を戦わした。敵陣突入を提案する者も いれば鶴ヶ城が簡単に落城するはずはないとして帰城を主張するものもいた。しかし、 最終的には「誤って敵に捕まえられ屈辱を受け入れるような事があれば、主君に対して 大変申し訳なく、祖先に対しても申し訳ない。この場は潔く自刃し、武士の本分を明らかにするべき」 との決断にはじめて、全員が同意し、一同列座し南鶴ヶ城に向かって訣別の意を表し、全員が自刃した。 後、一名が蘇生。その名は飯沼貞吉である。なお、鶴ヶ城開場はその一カ月後であった。 と記されてあります。
因みに、この白虎隊自刃の地は山の斜面にあり、回りは墓地で一般のお墓に囲まれ、 その一画に霊塔、小さな少年の石像が建立してあります。
お隣のお墓が気になりました。そのお墓は一段高く、会津出身で郷土に錦を飾られた方でしょうネ、 皆に知らしめるべく、故人の功績を立て看に記して居りました。
少年たちの壮烈な自刃の地で”自慢話かよ”と思うのは私だけかな。。。
さらには、その顔面をかたどったブロンズ像が白虎隊士と同じ鶴ヶ城の方向に向いている構図には、 正直どんな意味があるのか???でした。
白虎隊殉難士霊塔を仰ぎ見ながらあまりのギャップに悲しくなりました。
鶴ヶ城が霞んで見えませんでした。
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