会津若松観光では、松平家墓所を紹介しています

松平家墓所

基本情報
名称 松平家墓所
所在地 〒965-0813 会津若松市東山町大字石山字墓山
参拝時間 自由
参拝料金
電話番号 0242-39-1305 会津若松市役所
HP こちら
駐車場 無し
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松平家墓所

松平家墓所、初代保科正之の墓所は猪苗代町の土津神社にあり、 二代保科正経から九代松平容保までの墓所はここ会津若松市東山町の松平家院内御廟にあります。
二代藩主以降の墓は、正之の死より前の1657年に、正之の次男保科正頼が死去した際、 正之が若松城下のこちら院内山を墓所として定めたことからはじまります。 また、二代藩主保科正経は仏式により葬られ、三代藩主松平正容から九代藩主松平容保までが神式によって葬られました。
この神式の墓は、亀形石を台座とした碑石が前面にあり、その奥の一段高い場所に灯篭が対に並び、 その奥に表石、さらに奥に小高い墳丘を造りその上に八角形石組の鎮石が置かれています。
亀形の台座は亀と異なり立ち耳、爪があります。これは亀扶(きふ)と云う中国の想像上の動物とか。。 正之の仏教を捨て神道に傾斜した証なのでしょうね。(初めてお会いしてギョとしました)
御廟には歴代藩主のほかに家族や子孫の墓、拝殿があります。
1987年(昭和62年)に国の史跡に指定され現在は会津松平家から会津若松市の所有になっているとの事です。
歩いて見ると判りますが敷地面積は約15万平方メートルと広大で、墓域の中腹には西の御庭、中の御庭と呼ばれる墓所があり、 さらに石段を上ったところを入峰墓所と呼ばれている処があります。 容保公の亀扶は歴代の石碑より一回り小さく(ご遠慮された?)正面左奥、小高い処にありました。
でかい石碑を乗せた亀扶の姿を眺めていると、 会津藩だけが何故このような辛酸を嘗めなければならなかったのか、と訴えているように見えました。。。
(それともただ、たんに”重いだけかあ~”、、、。)
連綿と歴史を重ねて続けてきた会津松平家、足を踏み入れるだけで 大名家墓所の雰囲気を十二分に堪能できました。此の地はイチオシお勧めです。
しかし、早急に観光客専用の駐車場・トイレの整備が欲しい処ですネ。
管理者会津若松市役所さん。
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